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2009/05/04 (Mon) 00:30
第9回いじめを許さない教師の会ー高橋史朗氏の講演ー曲解された権利ー権理との違い

私が今でも鮮明に覚えていることがある。平成6年に、世界中から飢餓をなくそうとしている子供たちのNGOが世界中にあり、その支部が日本にあった。ちょうど、自己啓発をしている仲間から紹介され、子供たちの手伝いをしていた。が、その内容は大人には真似の出来ない、素早く、実践的で世界的な活動だった。世界中の先進国で「児童の権利条約」が国会で批准されていない国は日本だけだったことを教えてもらった。元々ペルーのストリートチルドレンのために作られた、子供が生きていく上で最低限の権利を国が保証しようとするものだ。三度の食事、勉強する環境作り、親から虐待を受けない環境作り、子供が意見を言える環境作りなど、至極当たり前のような内容だが、発展途上国ではそれが当たり前ではなかったということだ。2~3秒ごとに幼児が死んでいる現実を考えれば、深刻な問題だ。で、先進国はどうかと言えば、子供に意見を言えるようにし、親から虐待されないようにすることくらいしか当てはまらないことにやや疑問を感じた。先進国ではあまり必要ないような気もしたが、NGOの子供たちの熱意に引かれ、わざわざ議員会館まで引率し、当時の柿沢政務次官に直談判し、何と国会に通ってしまった。日本政府は、子供や女性が何かしようとすると支援する。海外でOKなものはすぐに取り入れる。実に単純な発想だ。しかし私は当時から危惧していた。平成6年と言えば、校門圧死事件、大河内君の自殺事件など、管理教育が否定され、教師の指導を無視する生徒が増えてきた。そんな時期に「権利条約」など火に油だろう。そもそも子供に権利など必要なのだろうか。子供には、していいことと悪いことを教えることこそが必要ではないのだろうか。不安は的中した。各学校に「子供の権利条約」の冊子が全教師に配布され、上からのことは全面的に従う管理職は、「人権教育」を教師に通達した。全く「アホか!」と言いたいね。昨今の対教師暴力の根源が、この条約にあるのは言うまでもない。おまけに「体罰禁止」の徹底化との相乗効果で、子供が神様のようになってしまった。
 高橋先生の話に戻そう。元々欧米の「権利」は「権理」と訳されていたそうだ。客観的理性を含むもので、それは自分で自分を律することの出来る自由の元にあるものだ。ところが日本は明治の中期以降、「利益」の主張を連想させるようになってしまい、公共に対する奉仕や義務を伴わない一方的な権利の主張になってしまったのだ。要するに、単なる我侭を認めてしまうだけの言葉に成り下がってしまったのだ。その結果、校則を破ることまでが権利として認められてしまうという拡大解釈になり、家庭ではプライバシーの重視のために子供部屋に入れない親が多くなり、家庭の躾を喪失させている。そもそも不登校、引きこもりなどは、このような権利の拡大解釈だろう。「学校に行かない権利」「学校を休む権利」など、どう考えてもおかしい。先日の週刊新潮にも同様の記事が載っていた。全く同感だ。遊ぶ権利、サボる権利など、単なるわがままに過ぎない。問題なのは、生徒がそんなたわけたことを言ったら一喝してやればいいんだ。
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