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2009/05/06 (Wed) 22:01
第9回いじめを許さない教師の会ー高橋史朗氏の講演ーいじめの背景といじめっこの心情

 初めていじめが社会問題になったのが昭和61年の鹿川君事件だった。所謂「葬式ごっこ」に担任も参加した事件だ。当時は、中曽根首相の元、臨時教育審議官が発足し、所謂「ゆとり教育」の原形となるものが考え出された。そんなお役人がたわごとばかり、机上の空論を考えている中で、いじめは着々と進行していった。しかも形を変えて。従来のいじめと明らかに異なってきたのは「遊び型いじめ」の特徴を持ってきた。特徴としては
①ある特定の行動傾向をもつ子供を中心とするグループによる組織の行動であること。
②ターゲットにされた子供に、ある演技をするように暴力的に強要し、笑いの種にしている。
③いじめ行動それ自体を楽しむ「遊び」であり、クラスの子供の大部分や、時には教師をも巻き込んでいる。
④長期にわたり、陰湿に繰り返されること。 ③④はまさに「葬式ごっこ」そのものだ。

 驚いたことは、その葬式ごっこに関わったクラスの生徒の数年後の発言だ。的を得ていたが戦慄する内容だ。とくとご覧あれ。
「みんな刺激に飢えていた。将来の夢なんて誰も持っていなかった。僕らは確かに不自由なく育った。辛いこともなかったけど、楽しいこともなかったよ。中学に入った時から高校入試を意識させられた。でも漠然と高校に入って、その後は何をして生きていくのか、いい高校に入ったからと言って、それが何なのか。ごく少数を除けば、将来何になりたいとか、どんな仕事をしたいとか、誰も思っていなかった。ぜんぜん生きる目的がなかったのです。だからけんかとか、いじめなどがあると、わーっと盛り上がっちゃう。中学生には自分の家と学校しかないから、刺激への飢えが数倍強かったと思う」
 何だか人事とは思えませんね。この気持ちが現在の中学生はもっと強くなっているのかも知れませんね。いじめの背景には、自己肯定感や、時運はかけがえのない存在であり、価値あるものであるという「自尊感情の欠如」、さらには、人の心の痛みを感じる「共感力や自己抑制力の欠如」という共通の問題がある。自分のアイデンティティーを内側から認識できず、他人との差異を外側から相対的に比較して認識しているために、いつも不安で自信がなく、「生きる目当て」もない中で刺激を求めている、というわけである。SMAPの「ナンバーワンにならなくてもいい…」という曲が空しく聞こえる。
 ではどうしたらいいのか?根本両方と対処両方の両方のアプローチが必要だ。いくら学校や政府の悪口を言っても始まらない。いじめは現に起きているからだ。やはり親が子供から何でも聞けるような関係を維持し、学校も真剣にならなければいけないのだが…。しかしそんなことは昔から言われて来ましたしね。問題なのは、いじめられている子が「闘う姿勢」を持たせるような姿勢を、担任が示すことでしょう。ならばその担任のレベルアップはどうするのか?まだまだ課題は多い。最悪の場合は「いじめバスターズ」に頼んでもらうしかないか。
 
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コメント

ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか。連休中に、学校行事があったので、今日は休み。
3連休です。
いじめ・・なくなればいいのですが、大人社会で平然といじめが行われている中で、学校だけなくせ、というのは酷がある気がします。また、いじめられている子供に「闘う姿勢」を求めるのも、無理なのではないでしょうか。
ボクシングの内藤大助は、中学時代いじめられていた自分を克服するために、ボクシングを初め、世界チャンピオンまでになりました。しかし、内藤大助のようなケースは特例であり、普通は闘う姿勢が取れないので、いじめられてしまう、のだと思います。こればかりは、担任に闘う姿勢を持たせろ、と言っても難しいのではないでしょうか。
私としては、いじめられている子供に対し、担任が代わりに闘ってやる姿勢が大切だと思います。しかし現状は、生徒との人間関係や保護者からのバッシング、何かあったときに逃げてしまう管理職の対応など、難しい課題がいっぱいです。いじめられっ子を助けたために、体罰をいじめっ子にした教師が逆に責められてしまいますからね。つまり、教師は、生徒の目の前に立っただけで、生徒が教師に敬意を払い、過ちを決してさせない力量を持ち合わせなければならない、と言わんばかりです。もしたとえるのなら、イチローに、バットを持たず素手でヒットを打たなければならない、と言っているようなものだと思います。

話は変わりますが、先生の出身大学はカトリックなんですね。東京なら上智大学、名古屋なら南山大学でしょうか。
私も先生と同じく学校群世代です。私は、伝統校同士の群を受け、江戸時代から続く高校へ進みました。
ただ、愛知の学校群は東京都は違い、必ずしも失敗ではなかったはずです。東京のように、学校群になったため、代わりに私立が伸びた、こともなかったです。
愛知の学校群が廃止され、現在の複合選抜になったのは、没落した伝統校を復活させるためです。そのため、特定の伝統校に優秀な生徒が集中するようになってしまいました。
私立は、東海、南山、滝が優秀校ですが、現在では、かつては東大なんてとても夢だった私立から東大に合格していくようになっています。もちろん1人とか2人程度ですが。

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